櫻井郁也ダンスソロ
『サイレントシグナルズ』(公演終了)
2015年 3月28日(土)20:00 3月29日(日)19:00 plan-B 〈東京・中野〉
SAKURAI Ikuya dance solo ”SILENT SIGNALS”
28th and 29th, March, 2015 plan-B, Tokyo
肉体。
ひとつなる、命なる、渦の渦なる、かくも小さな物質。
ダンス。
名づけ得ぬ、ちからの破片。
閃き、呼び声、、、。
肉体。脈々たる臨終と蘇生。
ダンス。空とぶ鳥、転がるものたち。
肉体。闇と光。
ダンス。真空。
この一瞬を交える。あなたと、、、。
言葉を消して、ともに震える。
夜より深い闇を、共犯する。
ゆるやかに墜落する。
痙攣する。
心より遠い場所に、降りそそぐシグナルたち。
ともに光を懐妊するため、
あらゆる言葉を消して、
息を交える。
(創作ノートより)
Comment:
舞台の上で視線と向き合うとき、身体は真空状態となる。
心のなかの言葉を切りつめれば切りつめるほど身体は風通しが良くなるのか、外側の内側のあらゆるものに呼応するように、不思議な運動や形態を発し始める。そして、それを見つめる視線と絡み合いながら、舞踏手自身も想像できなかったイメージが場に現れ、時空を巻き込みながら、響きのような何かが展開してゆく。
言葉を消すことによって身体が発し始める「別なる言葉」あるいは「沈黙の音楽」。
それは生命宇宙からの未解読の暗号のようでもある。
身体を掌握し自分のものとして操るほかに、自分には理解し尽くせない何か(他者)として関わってゆくこと。
カラダからこぼれる全てを「ダンス」として味わうこと。
自我に掌握される以前の、肉体の奥の呼び声を、そのまま空間や時間に放出すること。
そんなことができないだろうか。
わたくしが踊るのではなく、
ワタクシがいかにあろうとも厳然と存在する「器としての」身体そのものが発する踊り戯れ。
というものがもしあるとするならば、、、。
そんな欲望から生まれてきたダンスの一つが今回発表する「サイレントシグナルズ」である。
シグナルは信号であり、兆しという意も含む。導火線という意もあるらしい。
身体から発される、静かなる信号、静かなる兆し、静かな導火線、、、。
シモーヌ・ヴェイユは言う。「たましいはただ、神の方にむかって、生命のパンに飢えていると泣き叫ぶだけでいい。一瞬のたえまもなく、疲れも知らずに、赤ん坊が泣き叫ぶように・・・。みじかくて終わりが定めなく、終わりが定めなくてみじかいこの地上での滞在のあいだ、ただこのように叫ぶこと、そして無の中へと消えて行くこと、ーーーそれだけでいいのではないか。それ以上何を求めることがあろう。・・・せめて、今から、死の瞬間にいたるまで、わたしのたましいの中には、永遠の沈黙のうちにはてしなく叫ばれるこの叫びのほかには、どんな言葉もなくなってしまえばいい。」と。
現れるひとつひとつの身振りに一人一人の方が全く自由に想像を馳せていただければ幸い。
身を振るカラダそのものをただ眺めていただくのも、また幸い。
踊り手と視線ひとつひとつの間に密約される、様々な秘密の世界が広がってゆくといいなと思う。
世界は未だ謎に満ちていて、新しい未知の到来を待ち望んでいるのだから。
櫻井郁也 2015早春
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コンテンポラリーダンス/舞踏のフィールドにおける20年余の創作活動、とりわけソロワークの追求を通じて、身体と踊りの原風景をストイックに探究し続けてきた櫻井郁也。『方舟』(2012:ルクセンブルク)、『むすび:天地礼讃内景』(2012越後妻有アートトリエンナーレ)ほか、3.11以後の心象を追うように発表された作品群11作の踊りつなぎを経て、あらたな一歩として発表されるのが本作『サイレントシグナルズ』です。肉体、知覚、自我、空間、そして時間。ソロダンスを通じて身体と宇宙的イマジネーションの関わりへの挑戦が始まります。意欲作。ぜひご注目ください。